トヨタカローラ1100~100ccの余裕をアピールして大ヒットした初代カローラ

白いトヨタカローラ11001960年代半ば、日本国内では排気量1000ccクラスのクルマが各メーカーから次々と発売され、まさに戦国時代といってもいいような状態になっていました。

「日産サニー1000」「ダイハツコンバーノ ベルリーナ1000」「スバル1000」「マツダファミリア1000」といったクルマが販売台数を競っていました。

そんな中、「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーを引っ提げて登場したのが、1966年11月5日に発売されたトヨタカローラ1100でした。

現在まで累計で4000万台以上も売れている大ベストセラーカーであるカローラが、まさにこのときに誕生したわけです。

最大のライバル日産サニーとは異なる方向性で開発されたカローラ1100

各メーカーが1000ccのクルマの販売台数を競っていたなかで、後発となってしまったトヨタにとって、なんらかの差別化をして優位性を持たせなければいけませんでした。

それが、排気量を100ccアップさせて1100ccとするというものでした。

たった100ccとはいえ、ライバルよりも排気量が大きいというのは、後発のカローラが注目をあびるには十分なものでした。

各メーカーからさまざまな1000ccクラスのクルマが発売されていたわけですが、その中でもカローラが最大のライバルと考えていたのが、日産サニー1000でした。

カローラがサニーに対して仕掛けた差別化は、排気量だけではありません。

日産サニーが安価なクルマを目指してコストダウンを重要視していたのに対して、1000ccクラスでも上質感を味わえるクルマを目指して開発されました。

トヨタが、サニーのようにコストダウンを目標にしなかったのには、もう一つの理由がありました。

それは、そういったコンセプトで開発されて、1956年に発売されたパブリカの販売台数が思った以上に伸びなかったということです。

そういったコストダウンによる安価での販売を目指すやり方がうまくいかないということをパブリカで学んだトヨタは、小型車であっても上質感を持たせる方向に舵を切ったわけです。

その結果、カローラ1100は販売直後から爆発的な人気を獲得して、半年あまりでライバルのサニーの販売台数を上回ることになります。

発売してから3年半後には、累計販売台数が100万台を突破し、まさにベストセラーカーの地位を不動のものにします。

その後もカローラは売れ続け、現在までに4000万台以上の販売実績により世界最多販売車種のタイトルを保持し続けています。

プラス100ccの余裕で最高速度140km/hをマークしたカローラ1100

1077ccの水冷直列4気筒OHVエンジンカローラ1100は、1077ccの水冷直列4気筒OHVエンジンを搭載していました。

サニーの排気量が988ccでしたから、厳密には「100ccの余裕」ではなく、その差は89ccだったことになります。

最高出力は60ps/6000rpmで、最大トルクは8.5kg-m/3800rpmとなっています。

710kgという軽量のボディもあり、最高速度は140km/hをマークしました。

加速性能の指標であるゼロヨンも19.7秒と、20秒を切っています。

当時の小型ファミリーカーとしては、十分に俊足といえそうです。

ちなみに、最大のライバルであったサニーは、988ccのエンジンで最高出力は56psと、カローラよりも4馬力ほど少ない数字となっていました。

また、最高速度も135km/hと、カローラにくらべて5km/hほど遅くなっています。

カローラが掲げた100ccの余裕は、こうした性能面にはっきりと表れたことになります。

値段的にはサニー1000よりも1万円以上高かったカローラ1100

カローラ1100の内装排気量、最高出力、最高速度といった、カタログで確認できる数字であきらかにサニーより優位に立ち(当時のカタログには最高速度が書かれていました)、装備的にも上質感を目指したカローラが売れないはずはありません。

当時の販売店のセールスマンは、こうしたカタログの数字をみせて、カローラがライバルよりもいかに優れているかということを熱心にアピールしたに違いありません。

排気量がわずか89ccアップした程度で、実際に走ったときに明確な性能差を感じることができたかどうかは疑問ですが、やはり数字というのは分かりやすいアピールポイントになるわけです。

価格的にはサニーよりも2万円ほど高かったにもかかわらず、カローラは飛ぶように売れました。

当時の大卒の初任給が3万円弱でしたから、現在の物価に換算するとカローラの方が15万円くらい高かったことになります。

それでも、カローラ1100は売れたわけですから、トヨタの戦略が見事にはまったといってもいいでしょう。

値段的に多少高くても、性能や装備が充実している方を多くの人が選んだということになります。

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当初は1000ccのクルマとして計画されていたカローラ1100

ライバルのサニーに対して「100ccの余裕」をアピールすることで大成功したカローラ1100ですが、最初から1100ccのクルマとして計画されていたわけではありません。

当初は1000ccのクルマとして開発を進めていたのですが、開発後期に入ったときに、日産が1000ccの競合車種を開発中であるとの情報がトヨタに入ったのです。

当時「販売の神様」と呼ばれたトヨタ自動車販売社長の神谷正太郎は、ライバルである日産に対抗するために、100ccの排気量アップを製造側に強く要望しました。

参考:神谷正太郎 – Wikipedia

カローラの開発はすでに後期に入っていたために、突然の変更に開発チームはかなり戸惑ったに違いありません。

しかし、結果的には開発チームの決死の努力が実を結んでなんとか1100ccでの販売にこぎつけることができ、ライバルの日産サニーに販売台数で勝利を収めることができたわけです。

全幅は現在の軽自動車なみのコンパクトさだったカローラ1100

カローラ1100カローラ1100は非常にコンパクトなクルマでした。

全長が3845mm、全幅が1485mm、全高が1380mmとなっています。

現在発売されているトヨタヴィッツのサイズが、全長3945mm、全幅1695mm、全高1500mmとなっています。

ヴィッツも非常にコンパクトなイメージのあるクルマですが、カローラ1100はそれよりも二回りほど小さかったことになります。

特に全幅の1485mmという数字は、現在の軽自動車とほぼ同じサイズということになります。

軽自動車の場合は4人乗りですが、カローラ1100は5人乗りでしたから、後部座席に3人乗るとかなり窮屈だったに違いありません。

現在のクルマは、小型車であっても5ナンバー枠ギリギリのサイズに設計されることが多いですので、当時のクルマとくらべると全体的にワイドになっていることが分かります。

また、車両重量もカローラ1100が710kgなのに対して、ヴィッツの車両重量は1000ccのタイプで970kgですので、260kgも重いことになります。

当時のクルマにくらべると、現在のクルマは重装備によりかなりのヘビー級になっているということがお分かりになるかと思います。

参照:初代カローラの主要諸元

1969年にさらに排気量を100ccアップしたカローラが登場

カローラ1200SLライバルのサニーに対して、100ccの余裕をアピールして大ヒットしたカローラですが、その後1969年9月にさらに排気量を約100ccアップさせることになります。

エンジンの形式は、これまでのK型に変わって3K型と呼ばれるものになり、排気量1166ccで最大出力は68ps/6000rpmを発揮しました。

さらに、さらにスポーツタイプとなるカローラ1200SLというグレードには、ツインキャブレターでハイオク仕様の3K-Bという形式のエンジンが搭載されます。

このカローラ1200SLは最高出力77psを発揮し、最高速度は155km/h、ゼロヨン加速は17.5秒をマークすることになります。

この初代カローラからずっと生き続けたK型エンジンは、2013年まで製造され続けました。

それだけ基本設計がしっかりとしたエンジンだったということでしょう。

文・山沢 達也

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